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浅田農産会長自殺の報道と企業の遵法精神について

概要

浅田農産の不祥事による会長自殺に関する報道に感じた所感と、企業の遵法精神向上に向けた購入者層への提言を記す。

本文

画像:鶏の顔

この文章を記す16時間前、浅田農産会長夫妻の遺体が発見された。首吊り自殺だそうだ。自宅には「大変ご迷惑をおかけしました。従業員に給料を払ってください。」というメモが残されていたという。

各種報道等でご存知かと思うが、浅田農産は鳥インフルエンザ発生を隠蔽したまま出荷したと疑われている。浅田農産側は鳥インフルエンザに対する浅学が原因と主張しているが、日本養鶏協会の理事と副会長を務めていた人が会長をしている会社とは思えない主張だ。これまで報じられてきた内容から判断すると、感染を認識した上で意図的に出荷したと見るのが妥当だろう。意図したもの・意図しないものにかかわらず、鳥インフルエンザは拡散しつつあり、消費者の不安は高まっている。

浅田氏がなぜ自殺したかは、現在のところ明らかにされていない。「心労が原因か?」との一部報道もあるが、悔恨の念と結びつける人もいるかもしれない。腹を切ってお詫びする……これはかなり感情に訴える。このような最悪の形を迎えた場合、お茶の間でテレビを見ながら反感を持っていた人たち、そしてマスコミの糾弾を見ながら気持ち良くなっていた人たちは、ある種の罪悪感を覚えて思考停止になってしまいがちである。「死者に鞭打つな」という発想だ。

しかし、企業運営実態がどうあれ本事件は法人浅田農産の事件であり、浅田氏個人の事件ではない。“浅田農産”が「何をしたのか」と「これから何をすべきか」を考えると、“浅田氏”は死を選ぶよりも会長としてやらなくてはならないことがあったはずである。ここで重要なのは、“浅田氏”という個人が何をすべきかではなく“浅田農産”という会社全体で何をすべきかである。

ここ数年、遵法精神欠如による企業の不祥事が増えており、そのたびに関係者が引責辞任をして幕を引くことが繰り返されている。大量の負債を抱えた企業の取締役が引責辞任しても、十分な財産を持ったままであることに納得いかないところもあるが、これは法人の経営責任は個人に課さないと法律で定まっているからである。つまり法人は個人ではないということだ。責任者に求められることは、“企業として”の対応・対策に責任を負うことであり、“個人として”責任を取って辞任や自殺することではない。

画像:雪印乳業本社(東京都新宿区)

企業の遵法精神が崩壊した原因は、大量消費によって企業と消費者との間に関係性が薄れていることが原因ではないだろうか。消費者が生産者の顔が見えない、また逆に生産者も消費者の顔が見えないといった状況では、生産者の職人意識は薄れてゆく。性善説である職人意識ではモラルが守られない以上、何らかの対策が必要となる。

これまでは法的規制によって対策がとられていた。製薬などのように安全性を重視すべき分野はそれで良いだろう。しかし、この方法は社会的に非効率で、一部の者への権益を増加させる要因ともなりうる。また、抜け穴があればそれを利用する人間も多数いる。それではどうすれば良いか。それは、社会的に許されない行為を行った企業は、法律で規定されていなくとも売上不振という形などで罰せられることを理解させることが、一番の近道ではないだろうか。

一例を挙げると、雪印乳業・雪印食品の不祥事はグループ企業の再編や廃業・解散だけでは終わっていない。市乳事業は新会社である日本ミルクコミュニティ(株)(雪印乳業+全農+全酪連)に移管され、既に“雪印の牛乳”は市場から消えているが、新ブランドのメグミルクも売れ行きが伸び悩んでいるという。まっとうに業務を遂行していた従業員の方々は、連帯責任を取らされてしまった形となりまことにお気の毒であるが、このような結末を迎えることを当事者が判っていれば、不祥事も起こらなかったであろう。

【追記】
日本ミルクの発足から約6年後の2009年1月27日、雪印乳業と日本ミルクの経営統合が発表された。新会社の本社や登記簿上本店を調べてみると雪印乳業のビルであり、元の鞘に戻ったとも言える。うがった見方をすると、一時的に雪印の看板を外して事件が風化するのを待っていただけとも言えるが、雪印乳業側のプレスリリース に過去の不祥事についての言及があったことについては評価に値すると考える。

画像:テレビカメラに向かうレポーター

社会的制裁の権限を持つと誤解したマスコミが、浅田氏を追い詰めたことは間違いない。また、マスコミの執拗な追い込みを“気持ちよく”観ていた視聴者も、間接的にこれに関与しているのだろう。しかし、「自殺したのだから許してやれ」の発想では、問題は解決しない。確かに死というものはインパクトがある。これ以上糾弾して、同じような悲しい出来事を起こしたくない気持ちもあるだろう。それがヒューマニズムというものだ。しかし、自殺は免責の手段ではない。糾弾されることをしたことと悲しい結果は、切り離して考えるべきある。マスコミも消費者・視聴者も、感情だけで判断してはならない。大事なことは、マスコミは事実を報道するという役目に徹し、消費者がそれを冷静な目で判断することなのだ。

企業イメージが重要であることを経営者に理解させ生産者本来の姿に戻すためには、雪印の例を見ても判るように世論が重要である。世論が不正への抑止力を生み出して健全な企業活動を育み、消費者自身の保護にもつながる。企業の遵法精神を伸ばすのは、世論を作る人達……つまり、この文章を読んでいるあなた方だということを認識していただきたい。

おわりに

この文章の目的は自殺による消費者の意識低下への警鐘であり、浅田農産への糾弾や浅田氏が死を選んだことに対する批判ではない。しかし私自身としては、重圧に耐えて責任を果たすという道を浅田氏に選んでほしかったことも事実である。浅田夫妻のご冥福をお祈りするとともに、当事件を教訓としてこのような悲しい出来事が二度と起こらないことを願いたい。ページ内の画像は ウィキメディア・コモンズ で公開されているフリー画像を加工して使用している。画像を提供してくださった方々に謝意を表する。